奄美大島×西郷隆盛。「西郷どん」の足跡を追う。

奄美大島×西郷隆盛。「西郷どん」の足跡を追う。:アイキャッチ 奄美大島暮らし
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2018年の大河ドラマ「西郷どん」。いよいよ舞台は奄美大島へ移りました。「え?西郷隆盛って奄美大島いたの?なんで??」という方も多いようですが、そもそも江戸時代以降の奄美大島は薩摩藩の領土。

流刑の地となっていたのは離島ならではですし、属領の扱いとして本土よりも遥かに劣った環境であったという話もあるわけでそこらの問題はあるにせよ、西郷隆盛が仕えた島津斉彬率いる薩摩藩が治めていた以上、そりゃあ奄美大島に来ることもあるでしょうよ、というお話でもあります。

西郷隆盛、奄美大島に流れ着く。

西郷隆盛といえば、幕末維新のヒーローの1人ですが、そもそもは恵まれない下級武士の家の出です(このあたりは大河ドラマで丁寧に描かれていますね)。

それが当代随一の名君と言われた島津家の当主、島津斉彬に見い出され、側近として活躍するようになったところから、後に江戸城を無血開城に導く男のサクセスストーリーが始まります。

が、時は幕末の動乱期。西郷隆盛の人生は万事順調というわけではありませんでした。いくつもの困難や試練に立ち向かい、乗り越える必要があったのです。

なかでも最大の危機となったのが、君主でもあり師でもある島津斉彬の急死、そして井伊直弼の大老就任と安政の大獄の始まり。ほぼ同時期に重なったこれらの大事件が、西郷隆盛の運命を大きく変えます。

日本を変えるという一大事業の中心にあって活躍するかと思われた西郷隆盛は一転、井伊直弼の強権発動による安政の大獄の前に追われる身となり、自ら入水自殺を図るまでに追い込まれます。このとき、月照という僧と一緒だったのですが、これも大河ドラマでBLっぽいって話題になってましたね(笑)。

これは井伊直弼という頭でっかちで残念なサイコパス(諸説ありますが僕はそう思っています)と、島津斉興という長生きしすぎた老害のコラボレーションが生んだ悲劇でもありました。

入水自殺を図ったものの一命は取り留めた西郷隆盛。とはいえ生き延びていることを幕府に知られるわけにもいかない、ということで名を変え流されたのが奄美大島だったのです。…という、たぶんどこにでも出てくる背景の説明。

西郷隆盛が奄美大島で過ごした、龍郷町。

西郷隆盛は約3年、奄美大島に逗留しました。その間、愛加那という妻を娶り、2人の子ども(菊次郎、菊草)をもうけました。大河ドラマでは、愛加那演じる二階堂ふみさんの熱演が話題になっていますね。

ちなみに奄美大島ではこの西郷隆盛の滞在と妻であった愛加那さんについて知らない人はほぼいない(愛加那はさまざまな商品名にもなっている)のですが、逆に奄美大島や鹿児島の人以外だとあまり知られていない話かもしれませんね。僕も奄美大島に初めて来た時に教えてもらうまで知りませんでしたから…。

で、西郷隆盛が滞在していたのは現在の大島郡龍郷町。龍郷町には「西郷松」、「西郷南洲流謫跡」など、多くの西郷隆盛の足跡が残っています。

西郷南洲謫居跡1

龍郷町のこのあたりは、奄美空港から車で移動すれば20分ちょっとというところでしょうか。中心部である名瀬からだと40分くらいで車で行けると思います(バスでも行けるはず)。

西郷南洲謫居跡2

海や山で遊ぶだけでなく、ちょっとこうした史跡の観光なんかしてみるのも、おもしろいかもしれません。空港からもそう遠くないので、到着日や出発日に立ち寄るのもオススメです。